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2007年10月29日

世界の海苔。気になりますね。

本当にいろんな国で食べられているんですね。
誇り高い食品です、。


海苔は日本のほか、中国、韓国、イギリス、ニュージーランドで養殖もされている。一時はアメリカでも養殖されていたようである。

イギリス品種であるLaverは、イギリスのウェールズ南部地方で古くから食用にされている。Laverを茹でてペースト状にしたものがLaverbreadと呼ばれる物で、そのままパンに塗ったり、油で揚げるなどして食べられている。Laverbreadは日本で言う「珍味」の類であり、同じウェールズでも北部山岳地方ではその存在を知らない人も多く、現地でも決してポピュラーな食べ物ではない。

海苔の大消費地である日本は輸入枠を割り当て制にしており、従来は韓国にのみに輸入枠が割り当てられていたが、2003年に中国から輸入枠の割り当て申請があり、自国の輸入枠減少を恐れた韓国が日本の海苔市場の自由化を要求、2004年、最終的にWTOへ協定違反として提訴している。日本における水産物輸入枠割当制度は他国にない制度であり、WTOの紛争処理小委員会(パネル)が「クロ」と裁定する可能性は高く、海苔で敗訴すれば他の水産物輸入枠割当制への影響は必至と見られたために、日本は韓国への海苔輸入枠割当を大幅に増やすことで妥協を図った結果、韓国は2006年1月に提訴を取り下げた。韓国からの海苔の輸入枠は2015年までに順次増えてゆき、最終的には2004年の5倍、市場占有率にして7倍までに拡大されることになった。

中国では1990年代ころから養殖が始まり、江蘇省や山東省が主な産地となっている。味付け海苔、スナック菓子、コンビニエンスストアのおにぎり等に利用されており、海苔の生産量、消費量ともに増加してきている。しかし輸入枠の割り当ては行われているものの、値段や品質などの問題もあり、日本へはほとんど輸出されていない一方で、「スシ」などの日本食ブームの影響もあり、日本以外の世界各国へ輸出されている


引用:『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年10月04日

室町時代についての知識を深めましょう

室町時代(むろまちじだい、1336年?1573年)とは、室町幕府が存在した時代を指す日本の歴史の時代区分の一つ。名称は京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。

1336年足利尊氏が後醍醐天皇の南朝に対して北朝を擁立し室町幕府を開いた。二つの朝廷が対立する南北朝時代は1392年まで続き、北朝に統一された。ここで最終的に武家が優位に立ったが、幕府の財政軍事基盤は弱かった。この期間の政治体制は、中央政権たる室町幕府が上位に立ち、地域権力たる守護大名が幕府の監督下にありつつも、両者が相互補完的に政治的経済的支配を展開する幕府-守護体制として理解されている。

15世紀後半の応仁の乱ないし明応の政変以降は戦国時代とも呼ばれ、それまでの「幕府 - 守護体制」が崩壊するとともに、各地に地域国家が並立するようになり、また、荘園公領制が崩壊した。

戦乱が続く時代だったが内外の通商は盛んで、農業・工業ともに技術が向上した。この頃、西方では倭寇が朝鮮や中国を襲った。

広義には足利尊氏が1336年(建武3年)に建武式目を制定し、1338年に正式に京都に幕府を開いてから、15代将軍足利義昭が1573年に織田信長によって追放されるまでの235年間の足利将軍の存続期間を指すのが一般的であるが、前期を南北朝時代、後期を戦国時代と区分して南北朝合一から応仁の乱(あるいは明応の政変)までを狭義の室町時代とする場合もある。足利時代とも。

3代将軍足利義満が京都室町に花の御所を造営し歴代将軍が住んだ事から、足利将軍の事を室町殿と呼び、後に幕府を室町幕府、時代を室町時代と呼ぶようになった。なお、この時代はまだ「幕府」という名称は武家政権を指す言葉としては定着しておらず、当時の人々は室町政権を「室町幕府」という名詞で呼んだことはない。

室町時代は、3代将軍足利義満の時代の全盛を除いて戦乱と無秩序の時代であったが、鎌倉時代以前には見られない、出自不明の農民・商人層の社会進出を可能とし、日本史上、初めて人間の顔が見える人物を登場させた時代でもある。室町時代は一般的に旧勢力の没落と新勢力の興隆の時代として捉えることができる(→下克上)。その初期、古代的な天皇親政を理想とする後醍醐天皇と現状重視の尊氏を中心とした勢力が対立した(南北朝時代)。その後、義満の時代に国内は安定したものの、応仁の乱をへて全国動乱の時代(戦国時代)を迎え荘園公領制が崩壊して新秩序が成立した。